閑人の「戯れ言」

気に入ったことは勿論ながら、気に入らないことも思いついたままに・・・・・・・

期間限定の戦争報道

夏になると恒例行事のように期間限定での「戦争」報道がある。
概ね、タレントの浮気話しや、いわゆる心霊スポットの
案内と同列で報じられ、腹立たしい思いに駆られるのも
例年のことではあるが。
然し、8月もこの時期になるとそれらも、当然のように陰を
潜めてしまう。


ひねくれた言い方はさておき、新聞の片隅に若い人たち
(小中学生や高校生年代を指すのだろう)が戦争の話を
誰から聞くか、と言う記事が先日掲載されていた。
少し前の記事なので、詳細は定かで無いが、次の通りの
内容が含まれていた。


それは、戦争の話をする人(聞かせてくれる人)に占める
祖父母の比率が極めて低いとのこと。
つまり、戦争体験の無い人から、間接的な話を聞いている
と言う。


空襲警報の響き、B29の轟音、その機影、雨あられと降る
焼夷弾の実感。
役に立たない防空ずきんをかぶって逃げ込む防空壕の話
・・・・・何より、多くの肉親、友人、知人を失った悲惨な事実。

これらの全ては現実に起き、人々が体験した。


けれども、これらの事実を伝える作業は、実体験を伝えられる
祖父母世代から次の世代に移り、最早、間接的で「物語化」したと
も言えると思う。
少し乱暴に言えば第三者による読み聞かせ状態に代わっている。
悲惨な現実は、漫画で或いはCG合成で「見る」対象と同じレベル
になって居るようだ。


残念ながら、現代の現実の日本は、死の商人としての道にも
踏み込み、新しい戦争への道を歩み始めている。
「物語化してしまった戦争」を「体験した(悲惨で現実の)戦争」
として伝えられる方法を、真剣に考えねばならない。
「体験者たる祖父母」は減少の一途をたどるのだから。


心霊スポットの話題と、同列に扱い考えているマスコミに惑わ
されて、まるで同じ次元の内容だと誤解しないように・・・
劇画レベルにならないように、若者に事実を伝えねばと切に
思う。