閑人の「戯れ言」

気に入ったことは勿論ながら、気に入らないことも思いついたままに・・・・・・・

画廊からの電話

 

一昨日(祭日、13日)、
何回か使ったことの有る京橋(東京)の画廊から電話がかかってきた。
それは関東への台風襲来前。だが、雨は降り、祭日では有るが流石に
来場者は少ないと言う。


この画廊は数回使ったことが有るが、このところ数年のご無沙汰。
来年、春に是非とも個展をやってくれと言う。
私の作品は抽象(主としてキャンバスに油絵の具)だが、残念ながら?
画廊に並べても、今の時代には売れる見込みは、非常に低い。


この画廊主も言ってたが、毎年発表している作家が隔年になり、更に
例えば2年毎に発表している作家の展覧会間隔が更に延びたり、と言う
のが実情だとのこと。


多くの作家は、通常は『貸し画廊』で使用料金を払って展覧会を
している。
だから当然売れなければ使用料、作品の運送料、案内はがき代、
その他費用が、本人の負担になる。
私は、長い期間にわたって『画廊企画」でやってもらっているから、
これらの費用は負担なしだが、問題は作品が売れるか売れないかと
言うことである。
つまり画廊としては、使用料を徴収する代わりに作品が売れた場合、その
一部を得る(作家と画廊との力関係で比率は決まる)ことで営業が成り立つ。
ところが、そもそも抽象画なるものに対して一般の需要は少ない。
画廊が抱えるコレクターの購買意欲も減退している。


そうなると、画廊も「少し、費用負担してくれませんか?」と言う
ことになってくる。
これまでの付き合いから考えれば、こちらも、無下に「負担はイヤだ」
と言い切ることも難しい。
作品を購入してくれる対象者を、私個人のコレクターや、教えている
教室関連の人たちに限ってしまう訳には行かず、やはり画廊の持つ
意味も大きい。
その上、昔からの付き合いがある画廊が、次々と閉鎖している。
簡単に、『イヤだ』と言い切れない理由はここにもある。


悩ましいところではある。