閑人の「戯れ言」

気に入ったことは勿論ながら、気に入らないことも思いついたままに・・・・・・・

蟹の解禁、今年もご馳走に

 

蟹の解禁(富山県以西)は11月6日。
この収穫時期にはお祝い相場で、当然ながら高い値がつく。
そして、その後クリスマス、年末に向けての高騰前に価格が一休みする。
この一休み時期を狙って、例年「ご馳走になる」。
これが、何年も続いている恒例行事。


今年も、先日、10名ほどで食した。
ご馳走になるのは、「こっぺ」と呼ばれる「ズワイガニの雌」。
ズワイガニ(雄)は、松葉ガニ、越前ガニ、間人ガニ(たいざガニ)等々の
呼び名があるが、雌は大きさが小さくて別名で呼ばれている。
雌のコッペ(丹後半島)は他にも、セコカニ、セイコカニ、親蟹(おやかに)、
コウバコなどと呼ばれる。


この「こっぺ」、サイズは雄カニに比べ極端に小さいが内子と外子を
もっており、これが非常に美味しい。
脚は細いから、ほとんど食べられないが、殻を開け内子、外子、味噌
を取り出し、暖かいご飯に盛りつける。
少し、酢、醤油を垂らして・・・・・ごれが何とも言えない!!おいしさ。
いくらでも食べられる。


山盛りの蟹を、兎に角黙々と次々とほぐし器にため込み、食べる。
そして、熱いご飯にかけて食べる。


例年、ご馳走をしてくれるのは、京都の日本海に面した町の出身者。
親しい、漁業関係者から送って貰うから、格安との事。
昔は、この雌蟹は地元で食べる事はあっても、世間には余り知られて
居なかった。
子供のおやつだったとも言う。


漁獲量、市場価格を考えた上での、地元からの直送だから、食べる日は
概ね、前日に決定。
1月になると、更に漁獲量と価格の関係があるが、もう一度「蟹食べ」が
出来るはず。


呼んでくれるのは、長年のテニス仲間。
楽しい、そして満足の一夜を今年も過ごせた。

 

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ところで、このブログ。
アップが出来ていない。間隔が開きすぎている。
音楽会、展覧会(これは他人のだが)、制作等々、その他諸々の所用に追われ
まくり・・・・
余りに間隔が開きすぎるのは、訪れて下さる方に(特に少人数の限られた
方が訪問して下さっているブログだから)失礼にあたるとの思いはあるが、
なかなか手が回らないのが実情。
心しなければと、反省しつつ。

 

今日は「軍機」デモンストレーション日

 

今日は午前中ジェット機が、午後はヘリコプターが、デモをした。

 

我が家は概ね三浦半島と言って良い場所。
午前中、軍機が北の方角に向けて多数飛んだ。
高度を上げての飛行では、我々市井に生きる市民に影響を与えられないから、
或いは印象を植え付けられないから、「低空で、いらいら感を感じる様に
飛行した」。
地上での生活者が轟音にいらいらするレベルを十分に計算して、軍機が
多数飛行した。

 

午前中の何機ものジェット機の轟音がうるさいのは自明の事として、午後
に飛ぶヘリコプターの音、特に近寄ってくる時の「バタバタ音」、これは
十分にいらいら感を更に持たせてくれる。


三浦半島でさえ、このうるささ、いらいら感で仕事が出来なくなったから、
厚木基地周辺の方達は、もっと影響を受けられたのだろう。


陸上自衛隊は、救援、支援等々で前面に出る機会を持てるが、航空自衛隊
アメリカ軍と共にその存在を顕示したいのかも知れない。


今、23時過ぎ・・・高度は、流石に少し高いが、軍機が相変わらず今も
何機も飛んでいる。
慣らし運転ならぬ、慣らし轟音。
音に対しては勿論だが、軍機が飛ぶ事に不感症に成らないように、注意を
怠らないようにしたい。
本当に逆撫で状態の一日だった。
(轟音が気になり、今日のやるべき事が出来無くなった怒りは、未だ
 収まって居ない)

 

いくつかの音楽会が

 

このところ、音楽会が続いている。
これから先も、私の知人、親しいい人の関係する演奏会が、
そしてステージマネージャを頼まれている演奏会を含めて、
いくつか開かれる。

 

シュトイデ(ウイーンフィル・コンサートマスター)弦楽四重奏団については、
楽屋などで何度か会っているメンバーが居るが、そして断る
必要も無いだろうが、流石に親しい関係では無い。
主催者と親しいだけである。


因みに、関係する音楽会の概要は次の通りである。

11月21日(金)
福島の被災者への「きらきら星ねっと」支援
チャリティーコンサート
    港区赤坂1-14-3 「霊南坂教会」 
    16:30開場17:00開演 ¥3,000

    朗読、歌 フルート チエロ オルガン

    メンデルスゾーン エルサレムよ「聖パウロ」より 
    バッハ 備えよ、シオン 「クリスマスオラトリオ」より
    近藤浩平 海辺の祈り・・・震災と原子炉の犠牲者への追悼

   このコンサートは、信木美穂さんという社会福祉士が福島から
   東京へ避難して来た津波原発事故の被災児とその家族との交
   流からインスピレーションを受けて創作した詩画集「ひまわり
   の丘」(2012年出版)の「英語版の出版」を記念して開催。
   絵の映写と詩の朗読と音楽の演奏とを組み合わせた、ユニーク
   なコンサート。
   フルーチストで英訳をした人がカナダから来日する。

11月22日(土)
シュトイデ弦楽四重奏団with藤原道山(尺八)
    「逗子文化プラザ(なぎさホール)」 
    13:30開場 14:00開演 ¥5,000

    ベートーベン 11番「セリオーソ」 へ単調 Op95 
    藤原道山 東風、 バルトーク ルーマニア民族舞曲、
    バッハ 管弦楽組曲 2番より ほか         
 (別途11月27日 浜離宮朝日ホール・・・・カルテット単独演奏会開催)

 (上記「浜離宮朝日ホール」の開催日誤記 正しくはで11月17日(月)です)

 

11月29日(土)
ダヴィド カンピニオン ピアノリサイタル
    「神奈川県民ホール 小ホール」 
    14:00開場 14:30開演 ¥3,000

    モーツアルト ピアノソナタ 第3番 変ロ長調 KV281
    ショパン バラード
    ブラームス ピアノソナタ第3番 ヘ短調  Op5

   Davidはパリ在住。フランス、イギリス等で活躍中。
   日本では10年前から演奏会を開いている。

12月12日(金)
London  Ensemble 
    横浜JR東神奈川、京浜急行仲木戸 「かなっくホール
              13:30開場 14:00開演 当日¥4,000  前売¥3,500

    フルート(尺八持ち替え)、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ

    J.S.バッハ トリオソナタ BWV1037
    ウエーバー フルート三重奏曲 ト短調 から
    作曲者不詳 尺八 古典本曲「鹿の遠音」 他

   毎年、来日し今年で27回目を迎える。

(別途12月11日(木)渋谷文化センター大和田 伝承ホール 開催)

 

実はここまで書いて、演奏会の告知をこのブログでして何になる?
と思った。確かに余り?
けれど、折角書いたからこの様な音楽家がそして演奏会があると
言う事を、知って頂く事って少しは意味が有るかも、と言う事で。
ご勘弁を。

 

ところで、更に、美術関係だが
11月は知人の(絵画)個展も複数有り、昨日も出掛けてきた。
今日も、出掛けるつもりだが、会場が各々離れたところなので、
一回で回りきれないのが、つらい。


今月は、バタバタと動くので、自分の事が出来ない?かな?と
思うが、幸い?私自身の演奏会、展覧会が無い。
もっとも、昨日、3人展を早い時期にやろうと言う話しが出た。
相当前から、話しだけが先行していた企画。
今回は、空想で終わらせないで、実現をと互いに話し合ったので、
ようやく長い助走期間が終わりそうである。

 

ヴァイオリニスト 五嶋みどり

 

先日NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でヴァイオリニスト
五嶋みどりが放映された。


その凄さ、色々な意味で、を改めて感じた。


音楽家の抱える、或いは広く芸術家の抱える、勿論全ての人たちでは
無いが、危うさ、心が抱える問題が強く印象に残った。


昨日、あるヴァイオリニスト(プロで活躍中)と五嶋みどりのテレビ放映
について話しが及んだ時。
この人は、「見ていられなかった」と先ず言った。
放映では、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の一部を流して居たが、
その音色についての感想である。

 

兎に角、五嶋が常にヴァイオリンを手放さないで、弾き続けている。
本番前のオーケストラとのリハーサルが終わり、団員達は既に立ち去った後、
彼女は弾き続けている。
舞台から舞台の袖で、周囲が全く目に入らないような雰囲気で。
又、教えている学校では、生徒達が来る前後。
夜遅くまで・・・・とにかく弾く。
プロ奏者が、各々のスタイルで音を出す、練習をするのは当然だが、画面を
通じて見えてくるのは、弾く事に対する強迫観念。
その様な感想を、私は持った。


私の話したプロ奏者は、五嶋の母親がヴァイオリンを弾いていた頃の様子
も知っているとの事。
それなりに、個性のある人物であったようだ。
いずれにしても、その母親が「五嶋みどりに全てを賭けて」いる、と言う
事実。


切り立った崖の上の細い道を、彼女は唯々歩き続けている。
休む事が許されないで、ただ歩んでいる。
私の印象である。

 

振り込め詐欺・・・・非通知電話が

 

県警の委嘱と言って、「振り込め詐欺のご注意」電話が時折
かかってくる。
私の答えは、「いつも待っているのですが、一度もかからないのです」
である。


一度で良いから、かかってこないかと変な期待をしているのだが・・
「自信のある方ほど、危ないので・・・」とこれまた、同じ事を言われる。


私は一般の人に絵画を教えているが、平日の教室(だから、主婦が中心で
若干名のリタイヤ組男性が居る)の60代半ばのご婦人が「先生、振り込め
詐欺にあいました」と言った。

 

2、3日前にご主人が何となく不自然な電話をかけているのに気づいた、
と言う。
耳をそばだてて、そっと聞いていると相手は「息子」。
電話が切れると、ご主人はいそいそと出掛けていった。

 

翌日、又電話が・・・・
私の生徒さんであるご婦人は、この時にピンと来たという。
然し、ご主人には忠告しなかった。

 

その理由は、元々、全財産の管理をご主人がしており、日常の生活費
のみをご婦人が預かる方式で、生活形態が成り立っていた。
以前から「私は、主人よりも早く死にたい」と言っておられた。
それは預金通帳、印鑑の保管。保険の契約内容等々一切解らない。
株式等も有る筈だが、内容は一切教えてもらえない。
だから、もし主人が先に亡くなったら、動きがとれないと言うものだった。


財産は全部主人が管理、だから「振り込め詐欺被害」にやられようが、
防ごうが自分には一切影響が無い。と言う彼女の理屈。

 


結論は、ご主人がご子息に連絡して、事実が判明。
最初に慌てて振り込んだ100万円の被害で終了。
因みに、ご主人はこの被害の事を奥さんに告げないまま、奥さんも又
この件について、ご主人に何も触れずに過ごして居る。

 

 

で、県警の委嘱でかかって来る「振り込め詐欺のご注意」電話の
オペレーターによると、使用電話は「非通知」が多いとの事。
そういえば、我が家にも時折「非通知」電話がかかっている。
ただ、「非通知電話は受信拒否」と設定しているから、自動的に
受信していないだけ。
だから、「待ち望んでいる?!振り込め詐欺電話」のお相手が
出来ないのかも知れない。


振り込め詐欺対策としては、
「非通知は受けない」そして「非通知拒否設定」をする。

これが大事なようだ(電話機の機能の問題が有るが)。 

 

電話で保険セールスおばさんが・・・

 

電話が鳴り、毎度ながらのセールス電話。
外資系生命保険(代理店だが、それを伝えない。あたかも親会社が
セールスをしているかの如く感じさせる良くあるパターン)
からの電話。


「もしもし◇◇さんのお宅ですか」
「はい、そうです」
「××生命のパンフレットをお送りさせて頂きたいのですが」
「どうぞ」
住所確認、氏名確認をとの事なので、セールス用の手持ち資料
に従って、送りたければ送って下さい。
と、告げた。


そうして、電話を切ろうとしたら、このおばさんが質問。
「お電話口に出て頂いておられるのは◇◇△△(私の名前)さん
ご本人ですよね?」
何となく、変なおばさんだと思い(私も可成り変かも知れないが)
「いいえ、違いますよ」と答えてみた。
すると、彼女
「ああ、矢張りね!!このお名前と話し声が合ってませんから!!
 変だと思っていたのです」
と、言う。


「じゃあ、私はどんな人物?」とか、聞いてみたい気もしたが、
余計な話しはせずに電話を切った。


セールス電話は頻繁にかかって来るが、この様な体験は勿論初めて
のこと。
私は、このおばさんの顔を見たい・・・・

 

教会での礼拝後・・・スライドを見て

 

(先般来からアップしている記事の続編。

 余り、歓迎されない話題である事を承知しつつ・・・)

 

日本キリスト教団三里塚教会」での日曜礼拝のあとに

スライドで
  「三里塚教会に行こう」
   戸村一作生誕100年記念
        戸村一作とは?


を、見た。


私の知識では、
戸村一作(1909~1979)は「三里塚芝山連合空港反対同盟」の
委員長だったと言う事。
大いに活動し「国」にとってはとても厄介な人物であった事。
然し、既に亡くなっていると言う事。
等々、成田空港に少しでも関心がある人であれば、誰でもが知っている
で有ろう概略的な知識しか持ち合わせていなかった。

 

けれども、スライドを見て・・・・
彼はクリスチャン(宗教者)、芸術家(鉄を使って立体制作。
二科展(会友)等に出品・・・作品は教会敷地に今も遺されている)。
そして、農機具製造者として平穏な生活をしていたのです。


そもそも、
空港候補用地は反対運動により転々と変更を繰り返し、現在の場所に
閣議決定した後、当事者たる農民に対する説明も無しで進めたと言います。
また、空港候補地は「御料地(江戸時代から明治になった時に御料地と
なった)だから、民有地の被害は少ない」と言われましたが、実際は
御料地は40%弱でした。
既に、反対運動が始まっていたから、既成事実を積み重ねる事を急いだ
のでしょう。
現在の、沖縄と同じ構造です。


何れにしても、当事者に対する説明も無く、代替地の準備もなしに
進められた構想。
その様ななかで、国家権力による激しい実力行使、問答無用と言った
政府の対応が為された事により、反対運動がこれに対抗する形で必然的
な結果として、エスカレートせざるを得なくなったのだと思います。


戸村一作は1968年2月26日の空港反対集会で、警棒を振りかざし
追いかける機動隊から逃げる学生がつまずいて倒れた時、自らが身を
乗り出してかばったそうです。
この時、彼自身が機動隊員四、五名に取り囲まれ、「ヘルメットをはぎ
取られ、頭部などを滅多打ちにされて重傷」を負い入院。
彼は委員長でしたから、機動隊員は十分承知した上での暴力行為です。
この様な事実も、国家権力に対する更なる抵抗主義へかきたてた原因に
なったと言います。

 

併せて、当時の時代背景。
つまり過激な学生運動が、農民による反対運動に連動した事も
重要な事だと思います。
当事者たる農民達が空港建設反対運動をしたのは、開墾から始めた
農地を、国家によって無理矢理取り上げられる事に対する反対。
これが基本的に根底に有る筈です。
けれども、学生運動が重なる事により、この一番本質的な部分を見え
にくく、或いはぼやけさせたとも言えるのでは無いでしょうか。


その様な感を改めて持ちました。
いみじくも、町を歩いている時に話しかけた土地の人が、ふと言い
ました。
「(当時の)学生達は、今、日本社会の中枢で、何事も無かった様に
働いているよね」と。


飛行場敷地に取り囲まれた農家が今も存在し、この空港が現在に至るも
完全な形態を保っていない等の事実も抑えておかねばならないと思い
ました。


改めて、私は何かとても重要な課題を突きつけられた様な感覚に
なっています。